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助け合う [大震災]

3月27日(日)仙台2日目。

近所のスーパーが開いていなかったので

妹と一緒に少し歩いてパン屋さんまで行ってきました。

すごく並んだし個数制限もあったけど

焼き立ての美味しいパンが買えました。

朝食兼昼食はこれを食べました。

 

帰路、大好きな仙台港アウトレット周辺を見ました。

無残でした。(後で写真UPします)

近くには大手のメーカーの工場もあるのでゴミも多いです。

「ビールやカップラーメンが大量に流されてあの日は大漁だったよ」

なんて冗談交じりに妹は言っていたけど。

少し遠くまで買い出しに行ったりするときには

こういう中を歩かなくてはいけません。

「2週間たってかなりきれいになったよ。

道路が道路じゃなかったんだから。

がれきもすごくてね。

みんなのおかげだよね、ありがたいよね」

しみじみ言ってました。

それでもまだまだ両脇にはたくさんの車が

車じゃないような置き方されてます。

 

妹の会社は流されなかったものの

1階部分は膝上くらいまで浸水してしまいました。

会社のほとんどの人の車も流されたり水没したり。

同僚の子のアパートは骨組みだけになっていたり、浸水したり。

それでも相乗りしたり1時間あるいたりして

たくさんの人が出勤して掃除をして。

できる仕事は二階でしたり。

「宮城県人のガッツにびっくりしたよ。

何この出席率の良さって思ったよ!」って笑って言っていました。

前向きっていうか・・・

しなきゃ何も進まない。

みんな気を張って頑張っているようです。

 

震災の当日

妹は体調不良で会社を休んでいました。

そんな中の事態。

アパートの隣の人が気にかけてくれて

一緒に避難所まで行ったそうです。

休んでいた妹を心配し

会社の係長さんがヘルメットを持ってアパートや

避難所へ探しに来てくれたとか。

後に山形支店の方々が炊き出しにきてくれたり

いろいろ物資を運んでくれたりとか。

聞く話全てが、

辛い中でも感じた助け合うことの意味だったり

人の優しさだったり・・・感謝しっぱなし。

 

「避難所はひどいよ。辛かったよ」と

ニュースで避難所が写ったときに言った妹の一言に泣きそうでした。

 

後に妹はしばらくの間

津波被害のなかった先輩のお宅でお世話になっていました。

とても一人ではいられず

先輩といることで少しは安心できていたはず。

でも2週間近くよそのおうちで生活していると

やはり気を使う部分もあり

電気が復旧したところで

自身のアパートに戻ったそう。

 

それでも私が来たときは少しはかたづいていたけど

荷物は散乱していました。

ウチもだけど

また地震がくると思うと物を元に戻すこともできないんですよね。

また倒れる・落ちると思って。

 

それにしても私も妹も。

たくさんの方々に助けられて、力をもらって

本当に幸せだと思いました。

 

夜、妹の会社の方が来て、洗濯をして行きました。

今日もまた少ないおかずながらも

みんなで一緒にご飯を食べました。

 

助け合い、大事です。


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