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仙台5日目 [大震災]

3月30日(水)仙台5日目。

体調が悪くひきこもっていました。

 

いわき市ではやっと災害ごみの受付が開始されたようです。

数日前から

宅配便も自宅まで配達可能となりました。

これも一歩前進。


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各県の状況 [大震災]

3月29日(火)仙台4日目。

いわき市の小名浜港にガソリンタンカー入港とのニュース。

これでまた少しは供給されるのかな。

少しずつ良くなっていくことを切に願います。

 

さかなくんが漁業募金活動をしていました。

さかなくんのかぶってる帽子ハコフグ。

「ハコフグに小名浜港で会いました」って言っていました。

ゆかりがあったんですね。

知らなかった。

 

やっぱり福島にいると県内ニュースが多いし

もちろん宮城にいると宮城県内ニュースが多い。

仙台にいる間、

いわきの状況がよくわからないのはやはり不安だけど

逆に今、宮城県の状況を知っておこうと思いました。

 

物資不足・ガソリン不足はどこも同じです。

 

ガスの復旧が遅れているので

仙台市内では特にカセットコンロが需要が高いようです。

スーパーでは通常3ケセットのものがバラされていて

一人一本の数量限定で売られていました。

 

宮城県ではがれき撤去に3年かかるそうです。

23年分の量だって・・・。

 

県内は窃盗も多くなっています。

便乗窃盗許せない。。。

 

下水問題も深刻です。

水質汚染とかでてくると

水質・大気・環境調査等の検査・分析の仕事をしている

妹の仕事にも影響してくるようです。

 

仙台駅前では

商業ビルの営業再開、構内も一部利用可能になり

にぎわいも戻ってきたようです。

少しずつ仙台も復興の一歩を。

 

JR在来線も少しずつ運行再開されつつあります。

妹宅最寄駅から乗れるのは4月中旬頃のようです。


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平日 [大震災]

3月28日(月)仙台3日目。

妹が仕事に行っている間

私は隣町の駅前まで自転車でスーパーへ買い出し。

数日前このスーパーは店頭販売でしかやっていなかったけれど

この日は店内で販売スペースも広くなっていました。

目的のティッシュペーパーが買えました。

学生時代ぶりくらいの久々の自転車だったので

運転はフラフラ、足はガクガク(笑)

 

昼間仕事をしている妹のために

頑張って美味しい夕飯を作って待っています。

「美味しい!これどうやって作ったの?」

こんな会話がすごく楽しい。

妹の笑顔がすごく嬉しい。

 

妹の会社の人は、自らも多少なりとも被災しているのに

週末にはボランティアに行ったそうです。

「すごいよね」と言っていた妹も

先週は

同僚の浸水したアパートの片づけの手伝いとかしてました。


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助け合う [大震災]

3月27日(日)仙台2日目。

近所のスーパーが開いていなかったので

妹と一緒に少し歩いてパン屋さんまで行ってきました。

すごく並んだし個数制限もあったけど

焼き立ての美味しいパンが買えました。

朝食兼昼食はこれを食べました。

 

帰路、大好きな仙台港アウトレット周辺を見ました。

無残でした。(後で写真UPします)

近くには大手のメーカーの工場もあるのでゴミも多いです。

「ビールやカップラーメンが大量に流されてあの日は大漁だったよ」

なんて冗談交じりに妹は言っていたけど。

少し遠くまで買い出しに行ったりするときには

こういう中を歩かなくてはいけません。

「2週間たってかなりきれいになったよ。

道路が道路じゃなかったんだから。

がれきもすごくてね。

みんなのおかげだよね、ありがたいよね」

しみじみ言ってました。

それでもまだまだ両脇にはたくさんの車が

車じゃないような置き方されてます。

 

妹の会社は流されなかったものの

1階部分は膝上くらいまで浸水してしまいました。

会社のほとんどの人の車も流されたり水没したり。

同僚の子のアパートは骨組みだけになっていたり、浸水したり。

それでも相乗りしたり1時間あるいたりして

たくさんの人が出勤して掃除をして。

できる仕事は二階でしたり。

「宮城県人のガッツにびっくりしたよ。

何この出席率の良さって思ったよ!」って笑って言っていました。

前向きっていうか・・・

しなきゃ何も進まない。

みんな気を張って頑張っているようです。

 

震災の当日

妹は体調不良で会社を休んでいました。

そんな中の事態。

アパートの隣の人が気にかけてくれて

一緒に避難所まで行ったそうです。

休んでいた妹を心配し

会社の係長さんがヘルメットを持ってアパートや

避難所へ探しに来てくれたとか。

後に山形支店の方々が炊き出しにきてくれたり

いろいろ物資を運んでくれたりとか。

聞く話全てが、

辛い中でも感じた助け合うことの意味だったり

人の優しさだったり・・・感謝しっぱなし。

 

「避難所はひどいよ。辛かったよ」と

ニュースで避難所が写ったときに言った妹の一言に泣きそうでした。

 

後に妹はしばらくの間

津波被害のなかった先輩のお宅でお世話になっていました。

とても一人ではいられず

先輩といることで少しは安心できていたはず。

でも2週間近くよそのおうちで生活していると

やはり気を使う部分もあり

電気が復旧したところで

自身のアパートに戻ったそう。

 

それでも私が来たときは少しはかたづいていたけど

荷物は散乱していました。

ウチもだけど

また地震がくると思うと物を元に戻すこともできないんですよね。

また倒れる・落ちると思って。

 

それにしても私も妹も。

たくさんの方々に助けられて、力をもらって

本当に幸せだと思いました。

 

夜、妹の会社の方が来て、洗濯をして行きました。

今日もまた少ないおかずながらも

みんなで一緒にご飯を食べました。

 

助け合い、大事です。


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大事なこと [大震災]

ワタシの好きな芸人サンドウィッチマンさん。

もともと好きだったけど

今はプラス感謝の気持ちというか

今までとは違った感じで彼らを見てしまいます。

伊達ちゃんが以前ブログで大事なことって。

そうだよね。


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IN仙台 [大震災]

3月26日(土)

高速バス乗り場までパパに送ってもらいました。

その車中

空にはヘリコプター。

自衛隊や災害支援車両とたくさんすれ違い

それを見るだけで涙目になってしまいました。

パパとこりきとくくりと離れいわきを発つ不安でも涙目。

車を降りるとき心から

「ありがとう、帰り気をつけてね。あとはよろしくね」

と言いました。

 

いわき=仙台線が運休中だったので

福島=仙台線でいこうとしていたのですが

郡山からも仙台までのバスが出ていると知り

郡山まで送ってもらったのですが

通行した地域ではライフラインが復旧しているようで

全てのお店ではないけど

飲食店はいわきよりも開いているお店が多く感じました。

 

高速バス乗り場も混雑していました。

電車が運休だから

みんな代行でバスを利用されているようでした。

並んでいる人々そのほとんどが大きな荷物を持っていました。

納豆とか野菜が入ったエコバックを持っている方もいました。

どこかで購入できた貴重な食糧なんだな、と思いました。

バスに乗り街を走行中

ガソリンスタンドの渋滞や開いていないスタンドを見ました。

やはりガソリンはここでも不足。

 

高速に乗り

車窓から見える東北新幹線の設備被害を見ても涙目になりました。

ガソリンスタンドのあるサービスエリアは大渋滞でした。

 

仙台に到着。

パッと見、人が多いせいもあり、いつもの仙台かと思ったけど

しまっているお店が多かったです。

駅前のペデストリアンデッキも通行禁止となっていました。

駅一階の扉には崩壊中の文字。

やっぱりいつもの仙台じゃない。。。

 

いつもなら仙台駅から仙石線に乗るのですが

運転見合わせのためタクシーに乗りました。

 

十数年ぶり、

しかも一人で乗るのはほぼ初めてのようなタクシー。

そんな緊張と街を見て感じる動揺、

それに妹に会える喜びとでドキドキしていました。

そんなワタシにタクシーの運転手さんが

「○○駅(妹宅最寄駅)だと・・・

お住まいは大丈夫だったんですか?」と。

ワタシ「妹がいるので会いに来たので。。

見ていないからはっきりはわからないんですけど大丈夫らしいです。

私は福島県のいわき市から来たんです・・」

すると運転手さんが

「え!ワタシいわきの小名浜にいたことあるんですよ!」って。

お互いびっくりしました。

ワタシ「小名浜も海岸沿いは変わっちゃいました(涙)」

運転手「そうでしょう。物資もないんでしょ?

     こっちもだけどさ。テレビで見るといわきはひどいよね。

     ご飯は食べてきたの?」

ワタシ「はい、軽く食べてきました。」

運転手「軽くかぁ・・・じゃあいいものあげるよ!」

と、ひとつのおにぎりをもらいました。

コンビニのこんぶのおにぎり。

涙が流れました。

人の優しさが身にしみます。

走行中いわきの思い出話をしたり

「ここから右の奥は素敵な団地だったのに

今はもう何もなくなっちゃってね」と

仙台の様子を悲しく話す運転手さん。

 

仙台でもガソリンは10時間待ちだったり車中泊だそうです。

車を置いておくとパンクさせられたりするそうです。

タンクローリーがスタンドに入ったとなると

すぐにうわさが広まりパニックになるって。

店員が殴られたりすることもあって

安全のためにタンクローリーの後ろの表示は

入っていてもいつも”空”にしているとか。

みんな極限の精神状態で生きている。

なんでこんなになってしまったんだろう。

 

最寄駅に着き妹と再会したとき

感動のご対面かと思っていたのに

運転手さんも混ざってきてその瞬間を奪われました(笑)

でも。

ありがとう、運転手さん。

 

妹に会ったら泣くかと思っていたけど

お互いずっと笑顔で話がとまりませんでした。

 

でも徐々に災害の話になるとお互い辛くて。

妹はワタシ以上に大変な思いをしていて。

津波がくるのを見ながら非難し

その後もその爪痕が残る場所を歩き

被害にあった車や家屋や多数の遺体も目にしています。

ニュースや動画を見ることができません。

口数も少なくなります。

 

でも

「大丈夫だけど来てくれて心強いよ。

今日はゆっくりしてよ」と、

少ないおかずながらもご飯を用意してくれました。

ありがとう、妹よ。

 

二人枕を並べて寝ました。

来て良かった・・・

 

こりさんくーたんはパパとちゃんと寝てるかな。。。


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仙台へ [大震災]

何度か書いていますが

私の妹は仙台市にいます。

一人で怖い思いをし、きっと心細いでしょう。

早く妹に会いたい。 

そして私自身が一歩を踏み出すためにも

妹に会いたい。

 

私はお姉ちゃんだから。

やっぱり大好きな妹が心配でたまらない。

顔見たら泣いちゃう気がするけど

泣かないようにしなくちゃ。

だって私はお姉ちゃんだから。

 

交通手段は自身の車で、と思っていました。

行く気になればもう少し早くに無理やり行くことはできたのですが

今の自分の心理状態やこの社会の状況の中で無理はできないし

長距離運転することが不安だったのでいろいろ考えていました。

そのうち高速バスが一部で運行開始になりました。

大きな荷物を持つようになりますが

公共機関を利用し仙台に行くことに決めました。

自分の車で仙台まで行ったとして。

むこうの状況もよくわからないし

帰りのガソリンを無事給油できるかも不安だし。

できたとしても、だったら一人でも多くの

安否確認や燃料・食糧確保等に動く方々に使ってもらいたい。

 

パパやこりき・くくりと今離れるのもとっても不安だし辛いです。

でも、決断しました。

パパにも「少し仙台に行ったほうがいいんじゃない?」と言われました。

こりきとくくりにはパパがいる。

パパはどこにいてもワタシとこりきとくくりを守ってくれる。

信じています。

仙台へ向かいます。

 

その間はブログ更新できないと思いますが

戻ってきたらまた始めます。

いわき同様、変わってしまった仙台の姿も見てきます。

 

1週間程の滞在予定。

その間にすこしでも良い方向に変わりますようにように。。。

一人でも多くの人に笑顔が戻っていますように。。。


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ニュースで [大震災]

地震に津波に原発問題。

どこの被災地よりも復興が遅れているいわき市。

自主避難をしている人も多い。

そして以前として市の5割の断水

何をするにも水。

鮮魚市場・青果市場も2割くらいの入荷・・・との報道。

画面でいわき駅前が映っていたけど

車も人もいなくてびっくりしました。

繁華街なのにいまだにこんななんだ。

 

東京都知事と福島県知事が会談

都知事「東京都は福島県に恩がある」「東京は福島のおかげで成り立ってきた」

と言っていました。

都知事~TT 県知事~TT

 

しかしいわき市五重苦、問題山積み。

 

国~!(怒)

政府もいろいろあるんだろうけど・・・

国~!(涙)

そりゃぁ各市町村長だって怒りをあらわにするさ。

 

NHKで(私はすっかりNHK愛好家。笑)

ストレス障害を防止する?緩和する?のには

不安を言葉にする(話す・メール等)ことが大事なんだと言っていました。

なので最近どうなのかなと考えていたけど

やはりこのまま自分の気持ちを素直に書いていこうと思います。

私の言葉で悲しくなったり不快に思ったりする人もいるかもしれない。

けどまわりは優しい人ばかりで

書くことは良いことだよ

とか

いわきの状況や被災地域の人の気持ちがわかる

とか言ってくれます。

こんな辛い悲しみの気持ちは共有したくないけど

一人では重すぎる。。。

一人じゃないよってみんなに言ってもらってどれだけありがたいか。。。

たとえ反応がなくても書くと少し違う。

そしてこの先「あのときこうだった」と忘れないために。

ま、忘れないけどね~。

忘れるわけないけどね~。


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物資 [大震災]

お願いしていたわけではなかったのですが

とあるお友達が物資を送ってくれました。

「こっちも買占めが本当にひどくて

そんなものしか送れなくてごめんね」と電話口で泣いていました。

そんなことないよ、とってもありがたい、嬉しいよ。

 

ヤマト運輸営業所への受け取り。

「早い時間に来ていただければスムーズにお渡しできます。

本日中の受け取りをお願いします」

とヤマトさんから電話で言われていたけど

行ったらすごく混んでいました。

なので出入りの車で道路も混んでいました。

でも倉庫にズラリとあるその荷物のほとんどが救援物資だと思われ

それを見ていたらまた泣きそうになりました。

 

帰り道

自衛隊の車とすれ違いました。

 

ローソン・セブンに次いで今日はミニストップもやっていました。

いずれも店内は真っ暗でひっそりやっている感じ。

店内には入っていませんが

外から見える棚には何も置いてありませんでした。


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よくわからない [大震災]

3月25日(金)

地震発生から2週間。

早朝こりさんのカリカリの音で目覚めました。

 

今日の食糧等配布はあるようです。

 

品数も少なく

通常通りの営業店舗数でもないし

通常通りの営業時間ではないけれど

スーパーもやっています。

すごく並ぶけど。

開いているだけで嬉しくなります。

でも、お仕事されている方はお店に行くチャンスがない。

買えない。

 

市内でも少しずつ水道復旧しているので

(しつこいけどうちはまだ出ない)

飲食店やラトブも一階のみとかで営業しています。

(うちからだと遠くてガソリンもったいないから行けない)

 

原発作業員の方3名が被爆されてしまいました。

悲しい。

お見舞とお礼を。。

 

水道水。

いわき市でも乳児には接種を控えるようにとの指示がでています。

我が家の手元にあったミネラルウォーターには

”赤ちゃんのミルク作りにもご使用いただけます”と書いてありました。

小さな体のこりさんとくーたん。

二人にはこれあげてます。

犬でしょって思わないでね。

私の大事な子供です。宝です。体の一部、私の全てです。

 

自分でもわからない涙を流しました。

一人でいるときにいろいろ考えてしまっていて。

そんなとき農業用水汲みに出かけていたパパが帰ってきて。

我慢して喉が痛くなって。

こらえていたけど泣いてしまいました。

「何泣いてるの?」とパパに言われたけど

自分でも何故だかわからなかったので

何も言葉を発することができませんでした。

ただ首を横にふって泣いてないよって。

泣いているのがバレているのに

バレないようにと唇をかみしめて。

泣き顔を見られないようにとパパに背を向けていました。

・・・やっぱりまだ泣いちゃう。

 

毎日余震とともにいろいろなことが起きて

心の中がぐちゃぐちゃです。


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