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復帰2日目 [大震災]

 

あの大震災の当日。

会社の人が撮っていた写真を見せてもらいました。

白い車がワタシの愛車。

ギリギリセーフ。

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この写真は少し水が引いた後なんですが

津波は本当にすぐそこまで来ていたの。。

怖すぎる。

 

ワタシの仕事は事務です。

基本的にいつも忙しくしているのに

今は+震災に伴う処理。

すごく忙しい。

みんなもバタバタ。

”地震による家屋倒壊”

”津波被害により避難中”

”(相双地区の顧客もいるので)原発避難中”

顧客管理の上で、こういった辛い文字を書かなくてはいけません。

営業の人から聞こえてくる会話も辛い内容が多いです。

 

メーカーによって対応もいろいろで

保障してくれる会社と

うちで全額負担しなければならない会社がある。

うちの会社も相当な被害がでています。

 

そして運送業者のいわき拒否とか。。。

とあるメーカーさんは運送業者の代わりに

そこの社員さんが運んできてくれたりします。

 

残業中

営業の人同士でプチ会議をしているのが聞こえました。

特に津波被害の報告や対応について。

震えが止まらなくなってしまいました。

やらなくちゃいけない仕事がたくさんたまっているのに・・・できない。

今日は帰ってきました。

 

夜の7時に通りかかった職場近くのガソリンスタンド。

開いていたし並んでいませんでした!

す・すごい!!

 

「がんばっぺ!いわき」風評被害を打ち破れ!キャンペーン(農産物編)

 

ちなみに昨日は

アントニオ猪木さんがいわきを訪問してくださいました。

 

がんばっぺ~☆


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仕事再開 [大震災]

そんなわけで久しぶりの出勤。

震災以来、毎日スッピンだったからお化粧するのも久々。

 

会社で久々に上司や同僚と顔を合わせホッとしました。

嫌いな人もいるけれど(笑)、

長く休んでいたワタシをみんな暖かく迎えてくれました。

「○○さん大丈夫?妹さんも大丈夫でした?」

優しい言葉をかけられて泣きそうになりました。

休んでいる間もたびたびメールをくれていた事務のMさん。

「今日は野良猫が遊びに来ていて仕事の邪魔をされちゃいました^^」とか。

ワタシが休むことで彼女には多大な負担がかかるのに

優しく明るく私を気遣ってくれていました。

そんなMさんと久々に朝顔を合わせて「おはよう」を言いながら

お互い泣きそうになりました。

午前中は震災話で終わりました。

仕事自体はやはりバタバタ。

忙しいです。

が、それより何より。

すごく悲しい現実があって悲しくなりました。

先週中ごろくらいまで

うちの会社でも風評被害”いわき差別”を受けていたようでした。

取引先に発注をかけ

メーカー側では発送準備が整っているのに

運送業者がいわき入りを拒否していたという事実。

それも一回ではなかったそうです。

長く説明してようやく来てくれたパターンもあれば

折り合いがつかず諦めたこともあったとか。

ひどい。。。

 

少し残業し、帰りろーままのお家へ寄り道。

たくさんたくさんいろんな話をしました。

お互い笑いながら話もできるようになってきました。

二人で言っていたの。

「最近は悲しい・辛い涙よりも

嬉しい・感動的な涙をすることの方が多くなってきたよね」って。

ライフラインが整い(市内完全復旧ではありません)

物流も以前より良くなったことで

気持ちがこんなにもかわるものなのか、と思います。

生活のしやすさもだけど

気持ち的にも楽になりました。

 

報道の空白地帯

いわき市は広いです。

東京23区の約2倍。

端から端まで車で走ったら1時間とかは普通にかかる。

私自身も行ったことのない地区もあります。

隅々まで物資は行きわたってる?本当?

賞味期限が切れたものがある、とか聞いたけど。

(もともと賞味期限が近かったとかなのかな?)

みなさんからの愛の物資を絶対に無駄にはしないでほしいです。

現場の人間じゃないからわからないけど。

現場もきちんと動かれているんでしょうけど。

モヤモヤMAX。

  

今日のいわき。

スーパーは時間短縮なので仕事が終わってからではお買い物できませんが

昼休みとかにいけば並ばすに買えるようだし。

(ワタシが通過した道沿いの)コンビニは夜の8時30分でも開いていました。

お弁当とかの棚は空っぽですが。

さすがにまだ24時間とはいかないかな?

 

水道復旧作業に於いて↓(水道局HPより)

全国の多くの水道事業体に応援をいただいております。(4/5現在)
★給水応援 23団体(古殿町、郡山市水道局、会津若松市水道部、双葉地方水道企業団、坂戸・鶴ヶ島水道企業団、東京都水道局、横浜市水道局、神奈川県企業局、大分市水道局、延岡市水道局、宮崎市上下水道局、日向市水道局、都城市水道局、坂東市水道課、守谷市上下水道事務所、北茨城市水道部、杵築市上下水道課、鹿屋市上下水道部、垂水市水道課、沖縄県企業局、那覇市上下水道局、浦添市水道部、名護市水道部)
★復旧工事応援 2団体(東京都水道局、横浜市水道局)

ありがとうございます。


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一歩 [大震災]

私は震災以降ひきこもりがちで

家で震えて泣いてる毎日でした。

最初の1週間くらいは特に。。。

あの頃はいわきの人も県外に自主避難している人が多くて。

学生時代の友人たちは特に小さい子供がいるから

全員がいわきから出ていってしまって。。

大きな不安と恐怖に押しつぶされかけていました。

水もでないしお店もやってない。

原発は悪い方向にしかいかない。

毎日この世の終わりのような顔していた。

それでもニュースでいろいろな映像を見ると

私はすごく恵まれていると思って

「私にできることを何かしなきゃ」と思いつつも

何もできなくて。

なんだか焦っていました。

私より大変な人はたくさんいるから

無理してでも私は動かなくてはいけないと思いながらも

不安と恐怖がそんな思いを上回って

何もできずに今まで来ました。

動かなきゃ!と思っても

気がつくと泣いているし手が震えているし

めまいもするし、息苦しく気持ち悪い。

心と体のバランスが壊れていました。

何度か書いていた体調不良。

そんな症状の他にも体の異常があって

本当にキツかったです。

でも妹にも会い、生活もだいぶしやすくなって

今までよりも少し気持ちも落ち着いたし

心の整理もつきました。

5日から仕事に行きます。

出勤してもうまく働けるかわからないけれど。

こりさんとくーたんと離れるのは辛いけど

でもこのままずっと一緒にいることはできない。

今のワタシにできることは、

まずは仕事に行き少しずつ今までの生活にしていくこと。

働かないと今後の生活もあるしね。

無理なく働いていこうと思います。

小さな一歩。

頑張ります。

 

ワタシが仙台に行っている間にパパも仕事が再開し

こりさんくーたんも留守番生活を再開していました。

今まで留守番することが普通だった二人にとってそれは良いことだったようで

「夜はぐっすり眠るようになったし、カリカリも少なくなった」とパパが言っていました。

言われてみればワタシが仙台から戻ってきてからは

こりさん壁カリカリしていない!

くーたんナメナメはあるけれど。

二人にも普通の生活リズムにしてあげないとね。

ワタシと毎日一緒にいて甘えてたし

私の不安定な気持ちをふたりも感じていたのかもしれない。

こりさんもくーたんもママと一緒に一歩踏み出そうね。

 

・・・仙台港アウトレット周辺の様子を少しだけ。

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これでも片づけされたあとです。 言葉がありません。


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