SSブログ

震度6弱の余震 [大震災]

4月11日(月)

午後2時46分。

市内にサイレンが鳴り響きました。

会社のみんなで海にむかって黙とうしました。

1分間。

目を開けたときにはワタシは泣いていました。

 

天気予報通りに、夕方から空が暗くなりました。

それもすごく変な空色。

雨が降りだし雷が鳴り始めました。

地響きのような大きな雷。

近く(の避雷針)に落ちました。

雷の真下にいる感じですごく怖かったです。

「こないだ(3.11)ので弱ってるところに

この雷雨で地盤がさらに弱って

今大きめの余震来たら大変だね」

「雨もひどいし、雷も怖いし、もう帰りたいね~」

そんな話をしていて、もうすぐ帰宅というとき。

 

5時16分。

グラグラグラと大きな揺れ。

揺れがおさまらない。

慌ててみんなで出入り口へ避難中、突然部屋が暗くなりました。

・・・停電。

そとは雷雨。

停電なのでTVも見られず

地震の情報をすぐに確認することができずにうろたえていました。

みんなで電話をかけまくる中

ある職員が「いわき震度6弱!津波注意報がでた!!」と。

職場は海の近く。

3.11の際に沿岸部は壊滅的。

あのとき会社まで水が来ていた。

今、沿岸部は更地に近いような状態。

こないだ以上に水が来るかもしれない。

避難しなきゃ!!

雷雨だったので傘をさすのも怖いし

放射能問題があり雨にはあたりたくないので

車に乗りました。

同僚Mさんの運転でワタシは助手席。

近くの小学校へは行けなそうだったので

同僚Mさんの(高台にある)実家へ向かうことにしました。

道はあっという間に大渋滞。

しかも信号がついていないから。

しかも道路補修が終わっていなく通行止めのところもあるから。

しかも土砂崩れがおきて通行止めになっていたから。

迂回迂回で5分もかからないところへ1時間かけて行きました。

渋滞中怖かった。

結果、津波は来なかったけど来ていたら・・・。

ゾっとする。。。

避難方法、別に考えなきゃ。

 

Mさんの実家ではみんなでろうそく1本の明かりの中

いづれ断水になるかもしれないと

水をくみ貯め始めました。

その中もたびたび余震がありました。

ラジオで注意報解除を知りました

渋滞もなくなってきたようだったので帰宅しました。

 

帰宅したら我が家は電気が復旧していました。

この日はパパがたまたまお休みだったので

こりさんくーたんはパパと一緒でよかった。

パパ、揺れがすごくて歩けなかったらしいけど、二人を守ってくれました。

で、案の定断水になっていたので

夜、街も真っ暗の中、給水場へ行きました。

給水場も停電だったのでほんとうに真っ暗。

各自が持っている懐中電灯の明かりだけがたより。

(数時間後、停電の為ここの給水場も稼働しなくなりました。)

いわき市の水道はこの1カ月で97%まで復旧作業が進んでいました。

なのにこの余震により80%が再び断水。

ワタシたちもですが

作業員の方々を思うと本当にやりきれない。

7日に起こった仙台の余震のときとまるで同じ。

また1からやりなおし。

 

夜、こりさんのカリカリで目覚めました。

ずっとカリカリ。

バッグにいれてもカリカリ。

抱っこしても下ろしてって騒ぐ。

ずっとカリカリ。

最近カリカリ少なくなってきたなって思っていたのに

ずっとずっとカリカリ。

そんな姿見ていたら涙が止まらなくなり

大きな声で「こり!」って叫んでしまいました。

そしてすぐ抱きしめて「大丈夫だよ大丈夫だよ」と言ったけど

こりさんは目を合わせてくれませんでした。

(こういうときはいつもそう。)

カリカリしているこりさんに靴下をはかせてあげるのが唯一私にできること。

その後、あっこちゃんにもらったホメオパシーの存在を思い出し飲ませてみた。

寝室からリビングに行きソファに座ると

ようやくこりさん、ワタシに寄り添ってきた。

そのままうたた寝のような感じで朝を迎えました。

ほとんど寝てない。ワタシもこりさんも。

 

ちなみに。

7日の余震で震度6強を観測し再度停電になってしまった妹宅ですが

9日の午後に電気供給されたと嬉しい報告が入りました。

今は、母親が仙台へ行っています。

1週間程いるそうです。

妹も心強いでしょうし

両親も(父親が母親を車で送って行ったので)

妹の顔を見ることができて安心したようです。


コメント(0) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。