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一歩 [大震災]

私は震災以降ひきこもりがちで

家で震えて泣いてる毎日でした。

最初の1週間くらいは特に。。。

あの頃はいわきの人も県外に自主避難している人が多くて。

学生時代の友人たちは特に小さい子供がいるから

全員がいわきから出ていってしまって。。

大きな不安と恐怖に押しつぶされかけていました。

水もでないしお店もやってない。

原発は悪い方向にしかいかない。

毎日この世の終わりのような顔していた。

それでもニュースでいろいろな映像を見ると

私はすごく恵まれていると思って

「私にできることを何かしなきゃ」と思いつつも

何もできなくて。

なんだか焦っていました。

私より大変な人はたくさんいるから

無理してでも私は動かなくてはいけないと思いながらも

不安と恐怖がそんな思いを上回って

何もできずに今まで来ました。

動かなきゃ!と思っても

気がつくと泣いているし手が震えているし

めまいもするし、息苦しく気持ち悪い。

心と体のバランスが壊れていました。

何度か書いていた体調不良。

そんな症状の他にも体の異常があって

本当にキツかったです。

でも妹にも会い、生活もだいぶしやすくなって

今までよりも少し気持ちも落ち着いたし

心の整理もつきました。

5日から仕事に行きます。

出勤してもうまく働けるかわからないけれど。

こりさんとくーたんと離れるのは辛いけど

でもこのままずっと一緒にいることはできない。

今のワタシにできることは、

まずは仕事に行き少しずつ今までの生活にしていくこと。

働かないと今後の生活もあるしね。

無理なく働いていこうと思います。

小さな一歩。

頑張ります。

 

ワタシが仙台に行っている間にパパも仕事が再開し

こりさんくーたんも留守番生活を再開していました。

今まで留守番することが普通だった二人にとってそれは良いことだったようで

「夜はぐっすり眠るようになったし、カリカリも少なくなった」とパパが言っていました。

言われてみればワタシが仙台から戻ってきてからは

こりさん壁カリカリしていない!

くーたんナメナメはあるけれど。

二人にも普通の生活リズムにしてあげないとね。

ワタシと毎日一緒にいて甘えてたし

私の不安定な気持ちをふたりも感じていたのかもしれない。

こりさんもくーたんもママと一緒に一歩踏み出そうね。

 

・・・仙台港アウトレット周辺の様子を少しだけ。

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これでも片づけされたあとです。 言葉がありません。


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